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バイクツーリングはソロでします。余り群れるのが好きでないからです。でも一人で行動するとどうしても見知らぬ人の助けを受けることが多くなります。人間は一人で生きることが出来ないことをひしひしと実感します。結局多くの方々と触れ合います。また、それがこの上なく楽しい思い出となってきます。

ウオーキング中ベンチに腰掛けました。鳩が一緒に側に仲良く並んでとまりました。

I君を赤穂市に墓参

平成25年11月3日(日)赤穂市に行き亡き友の墓参をしました。友人とは、ホームページにある押忍の書の友です。友の亡くなる時には本当に不思議なことが続きました。昨年の10月娘が私の部屋に来てこの写真お父さんのと尋ねてきました。「これは大学時代の友人I君で結婚式に出席したときの写真だ。お父さんの人生に本当に大きな影響を与えた畏友だ。」。その翌々日高校時代の友人で組織する3人会のメンバーと松山市のスナックで飲んでいるとボトルが差し出された。それは実に数年前I君や少林寺拳法部の同期と飲んだ時のボトル。それを見て驚いた私は「まだ置いてくれていたのか、ここでI君たちと飲んでね、I君が少林寺拳法の歌を放歌高吟するなど大いに盛り上がった、それから数か月後I君ががんに、私が肺炎と心臓病に罹ってね、また彼は再発し入院をしているがお互いに生き抜こうと励ましあっているのだ」。その数日後新居浜市の友人からI君が亡くなったとの連絡が突然入った。詳細は不明であった。やむを得ない所用がありどうしても葬儀に参列できない私は気分が落ち込んでいた。その翌日フィリッピンから数年ぶりに帰国したという娘の友人が娘を訪ねてきた。友人と懇談していた娘が突然大声で部屋に入って来た。「お父さん、彼のお兄さんがIさんの娘さんと結婚しているんだって。」。驚いた私はただちに彼のもとに行った。そして、彼からI君がフランスで亡くなったと知らされた。実はその一か月前電話したところI君が「今は忙しんだ。」と話していたことを思い出した。「良くなったら世界一周をするんだ。」とも語っていた。余命幾ばくもないと宣告された彼がと正直のところ思っていたのでそれを聞き思わず胸がこみ上げてきた。やはりI君は有言実行を最後まで貫き通したらしい生き様だったなと。そして娘の友人に葬儀に参列できない不義理を詫びた。それから1年後11月に神戸で開催される自治大学校の同窓会の出席を控ていた2週間前、新居浜の友人から時機を待っていたかのようにI君が埋葬されている菩提寺の知らせがあった。赤穂義士のゆかりの寺である。墓前に着いた私は報告した。名刺にI君の最後の頼りに書かれていた押忍の自筆を載せてもらわせていること。共にチャレンジを続けたいこと。また、同期が赤穂に集まりI君を偲ぶ会を計画していることもあわせて告げた。その後、I君を育んだ地を偲ぶため大石神社、赤穂城を散策した。そこには懐かしいI君の赤穂弁があふれており、なぜか心が温かくなった。

赤穂市を後にするとまたもや雨が降り始めた。赤穂市を巡る時は雨が止んでいたのに。I君の亡くなってもなお相手を思いやるやさしさに感慨深いものがあり「ありがとう、またくるからな。」。思わず心の中でつぶやいた。

 

 

自治大学校第69期同窓会

平成25年11月2日(土)自治大学校第1期69期同窓会に参加しました。場所は神戸市中央区北野町1-1-14ホテル北野プラザ六甲荘です。半年間東京の広尾にあった同大学校で全国各地から集まった地方公務員が一緒に寝起きしながら学んだ仲間の集まりです。今回は兵庫県のお世話で開催の運びとなりました。みなさんとてもお元気で懐かしい思いで話や現境遇などに話を咲かせました。私は、伊能忠敬の足跡を巡る会の根本理念から無になった時からどのように過ごしているかに大変興味がありましたので、様々な方からお話を伺い、大変参考になりました。これから、皆さんの県庁を訪問させて頂きます。その時にはみなさんのお顔を思い浮かべながら名刺交換や食堂で食事をしたいと思います。

なお、次回は九州ブロックで開催されます。どうかよろしくお願いします。兵庫県の皆様ありがとうございました

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​令和2年第69期自治大学校同窓生年賀状

同窓生から頂いた賀状を紹介させて頂きます。
​皆さん元気に過ごされているようです。

​(画像をクリックすると拡大します。)

山口県県庁に向かう

2007年8月松山観光港に勤務していた私は門司港と山口県との連携を考えていました。それで門司港レトロ室の森安企画振興課長さんをお訪ねし連携をお願いして、とりあえず門司港に愛媛県の観光ポスターの掲示を検討していただくこととなりました。そしてこのことの支援と山口県との連携をお願いしようと当時県民課長であった吉野さんを訪ね、観光課長さんを紹介頂きました。観光課長さんに観光港との連携と支援をお願いするとともに萩市の観光課長さんを紹介頂きました。翌日萩市役所の観光課長さんをお訪ねし連携をお願いしました。結果は残念ながらしばらくしてシーマックスが門司港便を廃止することとなり連携に前向きであった観光課長さんにご迷惑をおかけすることとなりました。しかし、山口県、北九州市の観光ポスター、パンフレットをしばらくお送り頂き松山観光港に掲示、展示することが出来乗客の皆様から好評を得ました。

平成26年度 愛媛大学少林寺拳法部 義和門会 総会 
H26.5.10 愛媛大学

愛媛大学構内において愛媛大学少林寺拳法部義和門会の総会が開催されました。総会の後懇親会に移りましたがそれぞれが和気アイアイと楽しく旧交を温め合いました。その時ふと同期のI君とO君のことが頭に浮かびました。行動力抜群のI君、それを支えるO君、本当に良いコンビでした。組織に縛られるのは苦手な私は少林寺拳法部では優等生ではありませんが、私生活で二人とともに行動したのは同期の中では私ではないかと思います。私は決して当時行動力はありませんでしたが二人に引きづられるようにと言うのが実情だったと思います。思い出はやはり卒業を控えた2月に3人で沖縄旅行をしたことです。私はまだ就職先が決定しておらず家族の反対を押し切っての旅行でした。大分県中津のO君の家で宿泊し、すき焼きをごちそうになりました。そして鹿児島からひめゆり丸に乗船し沖縄に向かいましたが船に弱い私は太平洋の荒波で激しい船酔いになり食事も喉を通らないほどでした。沖縄では県庁を訪問したり、当時黒いジェット機事件の最中でデモがなされていましたので別に深い意味はなかったのですがデモに参加したりしました。沖縄の澄み切った海のブルーに大変感動しましたが、一番の思い出は沖縄の最北端辺戸岬に行った帰路、遠足中の中学生の方々のバスに乗せて頂きみんなで一緒になって若者の歌を大合唱したことでした。また、3人で自転車で四国一周もしました。まだ、国道が全面的に舗装されていない時代で学校やお寺に野宿しながらの旅でした。真夏の最中なので焼け付くように暑く、最後ごろは疲れ切って お互いものも言わなくなりましたが無事終わることが出来ました。合否電報の取り扱い事業などもしました。(I君は大学から承認書を、少林寺拳法部から後援書を取り、これを持って、受験生が宿泊している旅館、ホテルにセールスに打って出ました。受験日より前で他の事業者に先んじた訳です。結果、一人当たり、5万円の利益を得ました。公務員の初任給が、2万5千円の時代です。これで沖縄旅行に行きました。I君はウイスキーのジョニ黒を購入して帰りました。まだ、本国では高価な時代です。)。

いつも思いつくのはI君、やろうと合意するのはO君、そして何をとなくするのが私との構図でした。実社会に出てこの時の経験が大変役立ちました。つまり行動すれば何かが生まれるということです。この精神が潜在意識として残っておりなにかあるごとに心に浮かんできました。しかし今は2人ともなく残念です。今回、懇親会で事業に取り組み奮闘されている方とお話をしました。私も今自らの可能性に向けて本気で行動をしていますのでこういう方との話は勇気が湧いてきます。また、次回の再会が楽しみです。義和門会田中会長さん、戸田監督,愛媛大学少林寺拳法部の皆さん、総会開催大変ありがとうございました。

戸田監督は今年で監督23年目を迎えるとのことでした。練習風景を取材させて頂くようお願いをし、了解を頂きました。楽しみです。

I君を偲ぶ会を赤穂市で執り行う

平成26年6月29日(日)

赤穂市にあるI君の菩提寺万福寺において愛媛大学少林寺拳法部の同期、高橋登君、藤岡明信君そして私の3人でI君の墓前に参り偲ぶ会を執り行いました。まず、菩提寺にお布施をお願いしました。そして、線香を手向け、酒を供えました。I君を交え思い出話やお互いの現状などとりとめのない雑談にふけりました。一瞬学生時代と錯覚するような本当に穏やかな空気が流れました。それは、I君がまるで今、目の前にいるかのような不思議な感覚でした。高橋君も藤岡君も同様に感じたようでした。お互いが思わず「本当に来て良かった。」と言葉を交わしました。

 

この日も本当に不思議な事が続きました。まず、梅雨の季節にも関わらず晴れの日となった事です。天気予報では雨となっていました。I君の墓前にはなんとしてもバイクで行きたいと思っていた私が娘にそのことを話したと所「大丈夫、きっとIさんが晴れにしてくれる。」と答えましたが嬉しいことにそのとおりになりました。

 

また、バイク日本一周、県庁、市役所名刺交換を目指し共にチャレンジをしようと誓ったI君のお膝元赤穂市役所の訪問はなんとしても成し遂げなければならないことに気がつきました。29日は日曜日通常は閉まっている。しかしI君絡みでは不思議な事が起こる。市役所が開いているかも知れないと一縷の希望を持って訪れました。すると受付に2人の受付をされている女性がおられるではありませんか。嬉しさの余り少し興奮気味に事情をお話しましたので最初はやや戸惑われた様子でしたが、ご理解を頂き、市民対話課町づくり係長、宮本昌英さんに取り次いで頂きました。お話すると気持ち良く名刺交換をされ更に日本一周成功へのエールまで頂きました。I君に対し面目を保つことが出来本当にほっとしました。

 

そして極めつきは、住職の奥様に写真撮影をお願いした後、伊能忠敬の足跡を楽しく巡る会の名刺をお受け取り頂き「押忍」の字はI君の直筆だとお話ししました。その名刺をご住職にお渡し頂いたあと、またお越し頂き「住職が伊能忠敬は当寺にも来たと伝えて欲しい。」との事でしたと話されました。高橋君が「I君絡みでは本当に不思議なことが起こるな。世の中には理屈では語れないことがある。」と感嘆の声を上げました。

 

今回のI君を偲ぶ会でもI君の思いやりをしみじみと感じることとなりました。そのようなえもいわれぬ穏やかな時をしばらく過ごしたあと3人とも爽やかな気持ちに溢れ「また会おう」と寺を後にしました。

     四之宮  高橋   藤岡

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