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定年後は生活の自由を得ました。毎日が自分の描く通りに出来ます。最初は戸惑いがありますが、生きて来た人生より残りの時間が少ないと気がついたとき時間こそが何物にも代え難い宝物となります。すると創造力が発揮され、なにもない白色のキャンパスに描くかのように今日の行動を考えます。そうなると毎日が本当に楽しみとなり、朝目を覚した瞬間、今日はこれをしようかとわくわく感で胸が一杯になります。まさに人生は芸術です。

(愛媛大学ガーデン)

平成25年11月30日(土)今治市にある割烹笹において3人会を行いました。笹は歴史のあるところで今治の政財界人の多くの方々がひいきにされたところです。女将の宮道可子(みやじかこ)さんはあのゴルフの岡本綾子の寄贈によって創立された明徳ゴルフ部出身だそうです。美人です。おだやかで温かいおもてなしをしていただきました。また、もう一人ななさんにはずっと接待をしていただきました。名前のとおり大変明るい方で終始楽しい雰囲気で過ごすことができました。写真はななさん撮影。

そもそも私たち3人の付き合いですが、今治西高第16期の同級生です。高校時代に冨田君と最初友達になりましたが、その時、彼の清水中学の同級生である羽藤君を紹介されそれからの長い付き合いになります。高校時代夏休みや試験後の休日にはよく羽藤君の離屋で越智俊郎君(西校同級生)、渡辺守君(西校同級生)と一緒に、トランプや将棋をして遊びました。夏休みには仙遊寺の近くにある蛇池(ため池)で水泳をしたものです。そのほか遊びといえば今治駅前にある施設で卓球をしたり映画を見たりですが本当に楽しく一日中遊びまわりました。

夜遅くなるものですから、その後は冨田君の家に泊まらせて頂きました。冨田君を可愛がっている祖母さんがおられ朝になると広い座敷に温かい味噌汁の朝食を運んで頂き本当の孫のようにしていただきました。ですから、気持ちは冨田君とは実の兄弟のような感じです。彼は明治大学に進学しましたので東京に遊びに行ったこともあります。私が他人には見せない2人だけの共通の行動もあり、3人会でぼそっと当時のことが口から出るとき懐かしいやら、恥ずかしいやらになることがあります。忘れられない思い出ですがさすがにここには書けません。彼は今監査役をしておりますが、県庁に私が在職中は民間の立場から常に様々なことで支援をしてくれたものです。

羽藤君は今専務取締役。高校時代はハンドボールのキャップテン、松山大学では吟詠部のキャップテンを努めた根っからのリーダータイプです。今治市役所に勤務しておりましたので今治に関することは彼に常に窓口になって頂きそれは私の松山観光港勤務まで続きました。誰とでも気軽に話すので人脈が本当に広い、今治で同行していると方々から必ず声をかけられます。彼との思いでは私が市町村合併の仕事に携わっているとき羽藤君は秘書課長、繁信君(今治西高同級生)が市長だったので彼との橋渡しをよくしてくれました。そして合併講演会を今治市民会館(丹下健三設計西高OB)で開催できるようになり、1000人余りの方々の前でお話をしました。

2人は私に余りない面倒見の良さがあります。私の不得意の分野を多く持っていますのでしていただいたことは多いですが私が彼らにしたことはあまりありません。娘曰く「わがままなお父さんに定年後も遊んでくれる人がいてよかったね。」多分彼らは大人なんでしょう。私がチャレンジだとか新たな行動だとかわいわい言っているのをにこにこと笑いながら見守ってくれているのだと思います。

3人会の話題「94歳まで生きるとして最後は誰が看取るのだろうか。」「3人が同時に死のうや」

今治市玉川ダムの桜

今治に向かうには国道317号線を走ります。玉川ダムの湖畔を走りますが、春の桜は誠に見事です。

 

 

今治市の風景

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